2021年最後の日の感想日記

こんにちは、コモリです。

もうすぐ今年も終わりなので、去年と同じく感想日記を書いていきます。

 

今年は、自分にとって変化は少なく、あまり変わらない年でもありましたが、一つの気づきを得た一年でした。

 

ブログに関しては、ほとんど更新もしていなくて、それは、何を書けばいいのかわからなかったからです。

何を伝えられるだろうか、何を求めているだろうか、という事が分からなかった、という事がありました。

 

そして、自分の行動力のなさと恥ずかしがりやな事について改めて考えていると、一つの気づきがありました。

 

なぜ、恥ずかしいと思うのか、この事について恥ずかしいと思う感情以外に思い浮かばないと思ってましたが、先日お風呂に入っているときに考えているときに気が付いたことがあるのです。

 

私の中の恥ずかしいという気持ちの根底にあった感情は、嫌われたくない、という気持ちだったという事が分かりました。

 

この事にたどり着いた時には、すっきりとした気持ちがあったので、たぶんあってると思うのです。

 

今までも、嫌われたくないという感情はありましたが、恥ずかしいという気持ちと結び付けたことはありませんでした。

しかし、今回考えていて初めて結びつくことができて、自分にとって納得のいく事だったのです。

 

もう少しわかりやすく言ってみると、

何かをする→恥ずかしい(失敗や不安)→嫌われるかもしれない、という事が自分の中にあったみたいで、恥ずかしい先にある嫌われるかもをなくすには、最初から「何もしない」という選択肢を選ぶと、その先の、恥ずかしい→嫌われるかも、という所にたどり着かないので、私は消極的な人間になっていたかもしれないと気が付きました。

 

何かをすれば、必ず何かしらの返事が返ってきます。

良い答えや、悪い答え、もしくは何も返ってこない事も。

良い答えは嬉しいかもですが、本当に思っている事じゃないかもしれません。

悪い答えが返ってきても、自分にとっては嫌な風に思えても、相手にとっては良い意味で言ってることもあります。

何も返ってこなくても、無視しているわけじゃなく、忙しかったり、見過ごしているだけかもしれません。

 

などなど、色々と考えてしまう事もある私なのですが、こういった考えをしなくて済むように、何もしない、という選択肢を選んでしまっているのだと気が付いたのです。

 

しかし、このままでは自分が良いと思っている方向へは進めないと感じてはいるので、今こうしてブログに自分の気持ちを書いています。

 

何もしない、という事を避けつつ、消極的な事ではあるけど、こうして行動することで自分を変えていけたらと思うのです。

 

来年はもう少し自分から行動できることを増やそうと思う私でした。

 

 

最後まで見てくれた人ありがとうです(*’▽’)

コメント

  1. 通りすがり より:

    はじめまして。私は高校卒業から10年ほどいわゆる「引きこもり」の状態でした。その頃は現在より引きこもりという言葉は社会一般に出回っておらず、同じような状態の人たちがたくさんいるとは知らず、こうしている自分は一体何者なのか分からず、ただただ年月が経ってしまったという感じでした。

    その後あるきっかけがあり、引きこもり状態からは脱出したのですが、生きづらさは今も変わっていません。恐らくはほとんどの引きこもり経験者の人もそうではないかと思っています。それは何故なのか、自分なりに情報を集め考えました。原因がつかめれば対処の仕方も分かるかもしれないし、生きづらさも減るかもしれないと思ったからです。

    引きこもりという状態が起きる原因としては、当事者サイドを見れば様々なケースがあることが分かりましたが、一言で言えば自己防衛本能だと思います。それまでの社会との関係で傷ついてきた自分という存在を、社会との関係を断つことで守ろうとするのですね。私はそれはとても自然なことだと思うんです。

    しかし社会は多数派が基準となって作られます。私も含め引きこもり当事者は元々少数派としての属性(恥ずかしがり屋もその1つですが)を多く持っている為、社会から抑圧されやすいのでしょう。障害を持っているケースも少なくないですから、生きづらさは変わらないのでしょうね。多様性がうたわれる昨今ですが、いじめ問題も相変わらず減りません。

    最近思ったのが、例えば恥ずかしがり屋で何が悪いの?話すことが苦手で何が悪いの?引っ込み思案で何が悪いの?誰に迷惑をかけてるの?ということです。開き直りでも自己正当化でもありません。例を上げればキリがないですが、これらの特性は通常の社会ではマイナス評価となります。でもそれは多数派の価値観でしかないと思うのです。

    社会の認識を変えなければ当事者にとって報われない状況が続くと思います。その為には声を上げ続ける必要があります。このような当事者だった方のブログは貴重だと思います。ありがとうございます。

    • komori より:

      初めまして、コメントありがとうございます。

      引きこもりという言葉があまり出回ってないという事は、今の様にネットがあまり浸透していない年代でしょうか。
      今の様に家にいながら何かを調べたり、話したりする事ができないのは、大変さは計り知れないと思います。

      その後脱出できたとの事なので、良かったとは思いましたが、長期で引きこもった人は恐らく、多くの人が抱えている悩みなのだと私も思います。

      人それぞれで変わってくるので、これだ、と思う事を見るけるのは難しいと思います。
      近い事柄は見つかると思うので、調べていくと関連性は見つかっていくかもしれません。

      自己防衛本能の一種だと私も思います。人や生物は生きる、という事が一番優先するようになってるはずなので、一応正常に働いている、のだと思います。狂ってしまっていたら自殺のような生を断つ事をしてしまうのだと私は思うのです。

      社会が多様性を認め始めたとしても、自分自身で自分の事を認め、受け入れないと生きづらさは変わらないと私は思います。

      人には理想の自分があるとは思いますが、現実の自分と比べてしまうと、どうしても受け入れるのが難しくなるのでしょう。

      私もそのうちの一人ですが、すんなりと自分を真正面から受け入れられれば楽に生きられるのだと思います。

      個人的な事ですが、社会の認識を変えるというよりは、今引きこもっている人や引きこもりから脱出したけど違和感があると思ってる人に、自分と向き合い、変わる一つのきっかけになれればと思い、ブログをやっています。

      社会の認識を変えるという莫大な他人に期待してしまうと、報われないと強く思ってしまうと思うので、自分自身に期待し、同じ当事者同士で繋がり、話し合い、変えていく方が良いと私は思います。

      コメントありがとうございました!

  2. 通りすがり より:

    こんにちは。前回のコメントの補足です。

    社会の認識を変えるというのは少し大げさな表現でしたね。それは簡単なことではないし、時間もかかります。可能かどうかも私には分かりません。当事者にとってまず大切なことは、同じ思いを抱えている人たちとつながったり、自分自身を受け入れることだと私も思っています。

    一方で引きこもりという言葉が社会に広まってかなり経つと思いますが、未だに引きこもりはただの甘えや怠けだという誤った認識や偏見があります。少しずつでもそれらが変わり、当事者が必要な支援を受けやすい社会になってほしいとも思っています。

    コモリさんのブログが当事者の人にとって、きっかけになる一助となることを願っています。

    • komori より:

      コメントありがとうございます。

      一度認識してしまうと、その認識を変えるのは大変だと思います。
      自分事に置き換えるとよくわかりやすいと思いますが、さほど興味がない事に対しての認識という事ほど変えるのは難しいと思うのです。

      自分の身内や知り合いに引きこもりになった人がいて、その人のために何かしたいと考えた人なら興味を持ち意識を変えることも可能だと思いますが、それ以外の人の認識を変えるのは至難の業だと思うのです。

      全く関係が無く、引きこもりに対して何もかかわりのない人たちが誤った認識をしていたとしても、それを変えることはとても難しいと思います。

      その様な人は、誤った認識をしていたとしても強くはないので、すぐ変えてくれるかもしれません。

      偏見を持たれるという事に悪いイメージも強いと思いますが、逆に良い方向に考えると、プラスになる事もあると思うのです。

      それは、引きこもりという悪いイメージを抱いている人もいると思いますが、そんな人でも一緒に働いたりしていると見えることも多くなってきますよね。

      マイナスからのスタートなので最初は良くは思われない感じで進みますが、精一杯努力をする姿を見せていけば、人の見る目は変わります。

      自分が初めて働いた時は、最初はあまり良い感じでは見られてはいませんでしたが、一生懸命取り組むことで、偏見な目で見られることも無くなった経験から言えるのです。

      マイナスから始まるので、ちょっとした事でもすぐにプラスに転じるのは良い所ともいえると思っています。

      しかしながら、昨今の社会情勢を見ると、引きこもりについても認識は少しずつ変わってると思うところがあります。

      それは、コロナ禍で、家での仕事をする人が増え、外に出ることも少なくなったことで、家の中にいるという窮屈さなどを普通の人にも理解できる環境になったという事です。

      今の世の中だからこそ、分かってくれるような人が多くなった今だからこそ、当事者の人が勇気を振り絞って一歩踏み出してくれるとうれしいですね。

      人の意見をもらえると考えも広がりますし、同じような考えを持ってる人がいると、安心感を持ってもらえる人もいると思うので、また気が向いた時にでもコメントしてもらえると嬉しいです。ありがとうございました!

  3. 匿名 より:

    他人から嫌われて何が悪いのでしょうか?引きこもりになる人は他人の気持ちに敏感だと思いますし、無礼になるケースは少ないのでは。舐められすぎるケースは多いけど。自分が部屋を出た時は、世界中の人間が自分を嫌っても構わないくらいの気持ちでしたけど。社会なんて変わらないですよ。って思って極力他人と関わらない仕事を探しました。相変わらず人と仲良くできないけどマシになってよかったと思います。古いブログにコメントしても意味ないかなぁ

    • komori より:

      コメントありがとうございます!

      嫌われたりしても問題ない、という気持ちがあればそれでも大丈夫だと思いますよ。
      私の場合ですが、人に嫌われるのが嫌、という気持ちが根底にあるので、それが自らの行動の阻害になってしまっているので、改善(嫌われても良いと思えるくらいの気持ち)が出来たら生きやすくはなると思うので、大丈夫な人がうらやましいくらいです。

      みんながみんな変わらないと思っていたら社会はまったく変わらないと思いますが、変えたいって思ってる人が、変わらないと思ってる人を上回ったらその時は大きく社会は変わると思うのです。でも、実際に変えようとすれば途方もない苦労はするので、社会を変えようとするよりは自分を変えようとする事を考えるのが一番効率は良いかもですね。

      人と仲良くしなくても仕事などで不便が無ければ大丈夫だと私は考えますよ。
      もしよかったらなのですが、その他人と関わらない仕事について教えてもらえると嬉しいです!

      記事数も少なくちょっと古めのブログかもですが、ちゃんと見ていますよ……!!